(男性の方、お許しください。過激なタイトルの理由は文末に。)
我が家は今、裁判の控訴を終えたばかりで、期限までに、控訴理由書を書き上げて、提出しないといけません。
期限が迫るにつれて、ビビり始めた人がいます。
もうやめたい・・・・。
ビビりメールを送ってきました。
裁判とか、高等裁判所とか、弁護士とか、控訴とか、そういう、普段なじみのない世界に関わることに、怖さを強めているのです。
本当に大丈夫かなあ、控訴なんかしてよいのかなあ、控訴取り下げるよ・・・
第1審に対して、不服だったから、控訴を決めたのです
あの時の怒りはどこへ行った?
私はビビっている男性を横目に、淡々と準備を進めるだけです。
私はビビりません。
やると決めたので、進めます。
本人には、そうなんだね、心配になってきたんだね、と、共感を示しながら、私は手続きに入ります。
よく、腹が座っている、と言って、私の生きる姿勢に呆れ返る人がいます。
子ども4人一人で育ててきたからだとか、破産を2回も経験しているからだ、とか、そもそも独身時代から心臓に毛が生えている、などとも言われてきました(笑)。
なんとでもどうぞ。
今日もまた別件で、心が折れた男性が来ました。
それならもうやめる・・・
ある事業に、心身共にエネルギーをつぎ込んで頑張ってきたのですが、事業の発展には今の働き方では無理ですよと、私がいくつかのスキがあることを指摘したら、メンタルが壊れてしまったのです。
体力勝負でしか、対応方法を知らずにいます。職人です。
同じタイプで、体をボロボロに酷使しながら、リミットがもう見えているのに、同じスタイルで働き続けている人をみているので、何度も忠告しているのですが、難しいです。
自分のスタイルを変えることができないのか、変えることを好まないのか、立ち止まって考えることができないのか・・・。
仕方ないので、その職人男性をしばらく休ませて、代替要因を探すことにしました。
後始末、裏方、後片付け・・・そういったことをするのは女性が多い気がします。
心が壊れようが、体が疲弊しようが、女には、やらなければならないことがあります。
陣痛が来たら、受け入れて、産むこと。
赤ちゃんが泣いたら、おっぱいをあげること。
子どもの口に、毎日、食べ物を与えること。
子どもの衣食住を確保すること。
最後の二つは男性も同じですね。
やめるも、進むも自由です。
でも、困難は、神様の祝福です。
Blessing in disguise.
チャレンジしてみて、砕け散ったら、それまで。
チャレンジしないで逃げるのも、その人の選択。
私はチャレンジを好みます。
もうだめだ、この壁は乗り越えられない、そうなった時が、私の本領発揮です。
私の中の「意地」が発動します。
損得勘定、利益、寝る時間、食事、そういったものがどんどん消えていきます。
量子力学でいうところのフォトンが大量発振され、時間空間の密度がどんどん濃くなって、目標にまい進です。
この記事のタイトルは、男性蔑視のように書いてしまいましたが、違います。
もののたとえです。
へたくそな喩えですね。
男性に嫌われそうです。
でも女性50代向けのブログなので、許してください。
自分の力を信じていきましょう。