カナコ日記

借地権のテーマ3回目。まとめです。

https://stand.fm/episodes/6711b9a057b1e489da586637

今回はこの 4つ 。①借地権との付き合いの流れ ②弁護士探しの経緯と付き合い方 ③家庭裁判所の体験 ④我が家の 100 年の歴史。というお話。
借地権の問題が 85 年ぶりにようやく会計中に向けて出口が見えてきたよ。っていう話です。

17:58
借地権のことはね。もう本当わかんなくてね。調べてもわかんなくて。専門家もいなくてね。それにもかかわらず、あまりにも多くの人が悩んでいる。実際、家庭裁判所に行ってみたら相談人で溢れていて予約が取れないのも納得しました。

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こんにちは。かなこです。6万3000 年のカリグラフィこの地球で人間生命として生きていることの大切さをお伝えしている番組です。2024 年 10 月 13 日に還暦 60 歳となりました。私、加奈子のつぶやきです。最後までお付き合いください。

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ということで本日はですね。前回の続きです。借地権の問題、我が家の借地権の問題です。前回ね。またお話しして 20 分超えちゃったのでね。あの 1 回終了したんですよ。その続きからお話しします。

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かいつまんでお話すると借地権というのは土地を地主さんから借りている権利です。だから、マンションの家賃と同じように地主さんに違いをお支払いして、その上に建物自宅を建てて住んできたというのが我が家でございます。

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これが 85 年間の歴史がありますで、その借地権のね。更新が 20 年ごとに契約更新で、今年 2024 年 12 月が更新なのでそれをやりたいんだけど、そこに悶着があってね。トラブルが発生して過去 5 年間苦労してきたんだけど、あともうちょっとっていうところまで来たんだよっていうのが今の状況です。

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で、今からね。前回のお話にもいきなり行っちゃいますね。前回は家庭裁判所に先週 2024 年 10 月 11 日に初めて第 1 回目の調停でしたよ。そこまでやっとのことで、こぎつけました。よっていうお話をしました。

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でね。初めからね。この遺産分割協議とかね。相続とかね。借地権とかね。そういう問題はね。初めから弁護士に依頼すればよかったんですよ。今から思えばですよ。でもね。そんなことわかんなかったの?

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だってね。一般人からしたらね。弁護士の先生にそんな高額のお金を払ってまでね。依頼するって何みたいな弁護士の先生ってどうやってコンタクト取るのとかね?何の話すればいいのとかね。

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私なんかもそういうレベルだったわけですよ。だけど。まあまあね。だから家庭裁判所っていうものの存在も知らなかったしまして。やに裁判所なんてね。私たち一般人が縁がある場所なんて思ってないですからね。

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実際、あの霞が関のね。裁判所が固まってる。あのエリア行ってもね。もうビビっちゃってね。入り口に守衛さんがバンバンて立ってますからね。それ見ただけで恐れ多くて後ずさりしてしまうっていうのが私でしたからね。

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もうとんでもない世界だったわけですよ。ところが今はもうすっかりね。全部の裁判所はもう私行ったしみたいなね。家庭裁判所は残る。1 つだみたいなね。そんな状況だった。そんななっちゃった。通い通い詰めてね。

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隣の弁護士会館もね。行っちゃったぞ。みたいな。感じです。それでどうでもいい?ごめんなさいね。家庭裁判所の調停というのはね。あの第 1 回目話には聞いてたんだけど、第 1 回目の朝廷をね。

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実際に体験して初めて私納得ってかわかりました。我が家の場合ね、その借地権を契約したのはおじいちゃんなんですよ。85 年前でそこに家を建てたのもおじいちゃんなんですよ。

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法律区役所にね。登記する。その名義っていうのがおじいちゃんのままなわけ 85 年間 30 年前に亡くなっているのにね。だから亡くなった時にうちの父親ね。長男だから借地権の名義も建物の管理者も私の父です。

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よって、お名前変更をね。区役所に届けなきゃいけなかったんだって。そんなこと知らないからさ。30 年間そのままに来ちゃってんですよ。だけど、昭和平成令和って時代が変わってね。法律も整備されてね。

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そういう陶器と現状がね一致していないと、今回 2024 年 12 月の借地権行進はできませんね。ってなっちゃったんですよ。じゃあもうしょうがないから。裁判を起こすなり、家庭裁判所の調停をお願いするなりしてね。

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23 分割調停っていうのを通して関係者全員がね。私の父が今後も管理していきます。よっていう納得する合意形成ですね。それ書類上にハンコをすってことなんだけどね。それやらないともうここに住むこともできないという状態になっちゃった。

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そういう問題なんだね。っていうことがわかったんですよね。家庭裁判所での調停となりました。って、ここからが今日の本題だね。ごめんね。5 分もかかっちゃった。さてさて、えーとね。やっぱり弁護士さん 20 人以上相談してきましたけどね。

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あの、力量のある方ってこうなんだなっていうのを今回本当にね。もう感激しちゃいましたね。先週ね。っていうのはね。弁護士今回お願いした弁護士はね。友達の紹介でね。本当にね。

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引き受けてくれたこと、自体も感謝なんですよ。というのはね。家庭裁判所の調停となるとね。実はね、すごい。面倒くさい。仕事らしいのよ。弁護士の先生に言わせるとね。で、実際あの今まで相談した弁護士は引き受けてくれませんでした。

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嫌だって、そんなこと誰もやらないでしょ?みたいな。だけど、今回の先生はいいよ。ゲームとは思ってね。やっていけばいいんだよって気楽に引き受けてくれたいや。もちろん気楽じゃないですよ。私も資料どっさり出してますしね。

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だけど、その先週実際に家庭裁判所に行って体験してみると。

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弁護士の先生がねささっと 3 枚ぐらいの書類文書をねささって渡してね。要はこういうことなんですよ。って、事前に資料はどっさり 50 枚ぐらい出してるけど、一言で言うとこういうことなんだよね。っていうのをね。

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さっと朝廷に渡してくれたのかな。事前に渡したのかよくわかんないんだけど、まあそんなんでね。あの雰囲気が良かったわけよ。それで最初は私の父と弁護士と 3 人で調停ルームに入ってね。

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どういう事件なんですか?今どういう状況なんですか?私たちは判断を下す役割じゃないけど、問題になっている両方からね。状況を聞いて歩み寄りのポイントを探すっていうのは私たちの仕事なんですよ。

07:03
それまず分かってくださいね。っていうことから始まったらしいんですね。

07:20
私たちの時間が 30 分ぐらいで終わったらね。次は今度相手側ね。相手側っていうのは私のいとこですよ。会ったこともない男たちなんですけど、電話で参加する人とか実際に来た人とかね。

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代わりに弁護士立ててきた人とかなんか色々いるらしくてね。その人たちに話聞いてましたよ。調停員がその間私たちね。別室でずっと待ってたわけ。1 時間ぐらいあこうなるんだって。その 1 時間の間に私が依頼した弁護士がね。

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朝廷員さんとはこういう話したんですよって教えてくれたのね。1 時間経ったらはーい。じゃあまた入ってください 」って呼び出されて、今度は弁護士の先生たちだけで行きましたね。で、そこに先方もいたみたいでね。

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頂点と合わせて 56 人で話ししたんですかね?で、歩み寄りポイントを見つけましょうの第一歩が始まったということでした。で、2 回目はね。3 ヶ月後だったかな?またもう 1 回ね話ししましょうね。

08:23
今回は双方の言い分を聞いて、何が問題なのかっていうところをね。朝廷の方々が発見する。そういう段階でしたよ。じゃあ次回はこうしましょう。みたいになったんですよ。だからね、1 時に行ってね。

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家庭裁判所に出たの?5 時 4 時間もかかるんだみたいな父なんかね。恐縮しちゃってね。いや弁護士の先生 4 時間もね。お時間いただいちゃってすいません。すいません。って言ってたんだけど、その弁護士の先生はさらっとしててね。

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大丈夫?大丈夫?僕たちこれ仕事だから毎日こんな感じだし。じゃあねみたいな感じでね。腹回っていうね。爽やかな弁護士でね。本当にありがたいですよね。それでね、この家庭裁判所の調停がね。初めからする。

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頼みは良かった。じゃんって、どうせ子連れで話し合いにならないんだから、さーっていうのはね。今だから言える話ね。ここまでに過去 3 年間の間に裁判 2 回通して負けているというか棄却ということでね。

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許可されてるわけですよ。この問題、裁判所は判断しません。ってね。で、じゃあどうしたらいいの?ってなった時に家庭裁判所っていう場所があるから、そこに持ち込んでお互いの言い分をね。もう第三者プロに聞いてもらってね。

09:43
そこで何とかしなさい 」っていうのが家庭裁判所だということを初めて知ったんですよね。だからもう父 90 歳ですしね。契約更新 12 月今年の 12 月ですからね。急げ 」って言うんでね。

10:01
最優先でやってるわけなんです。で、今日お伝えしたいことはね。これ裁判とか家庭裁判所とかね。遺産分割調停とか相続とかね。死んだ後どうするとかね。まあそういう話になっちゃってるんですけど。

10:17
でもね。この事件、弁護士の先生方、みんな事件という言い方するんですね。この事件を事案ですよね。私に対して家私から言うと体験なんですけど、この体験を通してね。私も多くを得ているわけです。

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それは私の父の人生歴史、おじいちゃんの苦労、そういったものをね。85 年分でおじいちゃんその上にいますからね。まあ 100 年分ですね。100 年分の我が家の私の実のお父さんですよ。

10:53
その歴史をね。この裁判があったから生々と聞くことができてるんですね。そこをちょろっとご紹介したしちゃおうというのが今回です。85 年前昭和何年だ?昭和 13 年か昭和 13 年におじいちゃんこのえへへでしたからね。

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その土地はね。この日の方ばかり住んでたらしいんですよ。だからあのこのね。第 3 連隊って言うんですけどね。その連帯の人かわからないけど、国がね。兵隊近衛兵が住む場所としてその一角をね。

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もしかしたら紹介してくれたのかもしれないで、地主はこの人だから、この方からお金土地を借りてね。建物は自分で何とかして立てるようになったのかもしれない。大工さんが入って家建ててね。

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で、その借金をちょっとずつ、ちょっとずつね。本当に長い時間かけて返してきてるんですよ。で、そこのメインのお金返した人が私の父だったよって話。それでね。まあその話をいろいろ聞きながらね。

12:12
まあ、私の父の人生はね。もう全部その借地権時代の支払いと。建てた家がね。3 軒だったんですよ。この 8。5 年間でね。その 3 件の建築士の支払い、そして私たち家族を養うための。支払いに父の今 90 歳の人生はもう全てが費やされてたんだということをね。

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私初めて知ったんですよね。だからそこはね。やっぱりね。この過去 100 年間の長い流れ。またその前があるわけでしょ。そのおじいちゃんを育てた産み育てた人たちもいたわけだから、やっぱりそういった先祖の歴史を知る機会となりました。

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私のおじいちゃんはこの絵でね。あのレイテ島って知ってます。サイパンサイパンまた違うか?私ねごめん。詳しくないんだけどさ要は激戦地ですよね。サソリをね。一つの壺の中に入れて殺し合いをしていたという風に例えられた。

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レイテッドあそこでね。生き残りでね。帰ってきたんですよね。だから私たちの今の命があるんですけど。もうそういった。大変な苦労してね。日本国を背負って働いてきた軍人であったわけなんですが、戦争負けちゃったんですよね。

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日本はね。戦争中はね。軍人はもう偉いですからね。おじいちゃん、なんか近衛兵ですからね。星のマークのバッジをバチバチつけてもう馬に乗ってね。今のところから赤坂まで、統計ももちろん持って。ピカピカで。

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馬に乗る時のあの長、靴ね。川のあれも履いてね。通っていた今で言うと通勤です。していたもすごいえらい軍人さんだった。ところが廃線になった途端に。負けたのはお前のせいだ軍人のせいだとなるのが日本だったそうです。

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そして!公職追放と言って、公の仕事についてはいけないとなってしまっ。だから、おじいちゃんは非常に苦労して、ただ英語ができたからね。GHQ の駐車場の係員とかね。あと新宿のバーをやったりしてね。

14:44
もう何とかかんとか自然を稼ぎながらって父は言いますけどね。暮らしていたそうです。父はね今でいう歌舞伎町ゴジラのね。立ってるゴジラが上にいる建物があるでしょう。その隣になんか上の方が水色の高いビルが建っちゃったじゃない。

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あの辺に住んでたんだって。あの辺はね。歌舞伎町なんかも。当然その当時なくてね。なんか、なんとか女学校っていう?当時は東京都じゃなくて東京市東京付加だから府立なんとか女学校っていうのがあってね。

15:24
あの辺一帯学校とおうちしかなかったんだって。それから都庁が建っている高層ビル群ね。あの辺はもうヨドバシ貯水池とか言ってね。全部池だったんだって。東京都の水瓶ですよ。だから何にもなくてだだっ広いところだったのにね。

15:44
今こんなになっちゃったね。なんて言いながら父と歌舞伎町歩くときはね。いつもその同じつぶやきなんですよね。それでまあそういうね。基地の苦労とかおじいちゃんの苦労をね。この裁判にいろんな資料を出さなくちゃいけなかった。

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家庭においてね。今回じゃない?前お願いしてた弁護士の方が何もお仕事をしなかった関係で、私が全部ね。弁護士業みたいな書類作成作業をね。どっさりやった?おかげでね。まあ父からいろんな話を聞くっていうチャンスになったんですね。

16:26
さてさてさてね。話まとめるのが今回の放送の趣旨でございます。お伝えしたいことはね 4 つですね。一つは借地権とは何かということを前々回でお話ししました。2 つ目は家庭裁判所の調停とは何かということを前回、こんなことを体験したよとお話し、今日もちょっと言ったね。

16:50
3 つ目は弁護士 20 人ぐらい私探してきたんですよ。それから弁護士さんとね。どうやってお付き合いしてきたかっていう流れを前回お話ししましたね。そして 4 つ目は裁判を 2 回経験したこと、その家庭において、父とかおじいちゃんの過去 100 年の人生を知ることができた。

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この 4 つですね。借地権弁護士付き合い家庭裁判所。我が家の 100 年の歴史。というお話でございました。とりとめのないお話になっちゃったんですけどね。まとめますと。こういうことです。借地権の問題が 85 年ぶりにようやく会計中に向けて出口が見えてきたよ。っていう話です。

17:58
借地権のことはね。もう本当わかんなくてね。調べてもわかんなくて。専門家もいなくてね。少なくてそれにもかかわらず、あまりにも多くの人が悩んでいる。実際、家庭裁判所に行ってもね。

18:16
待合室に人がわんさかですよ。まさかっていうのは一つの家族に対して。付き添い人という形でね。34 人来てるし、そこに弁護士の人もいるからね。やっぱり人グループが 45 人になるわけです。

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その 4、5 人のグループが何人も何グループもいるわけよ。だからね。家庭裁判所コミコミ予約取れない状態ってことはそれだけね。この問題深刻だってことですよ。特に銀座あたりはね。もう江戸時代あたりから、そのここの土地は誰が貸して誰が住んでっていうことがね。

18:55
もうたどりきれないぐらいぐっちゃぐちゃになっている。我が家もね。台東区の浅草がもともとの江戸時代に住んでいた場所なのでね。私も専属やってますから、戸籍を調べてね。我が家の家計を作るなんてことはやってきたんですけど、それで我が家にまつわるご先祖様 500 人ぐらい。

19:18
私書き出したんですよ。だけど一番重要なね。台東区浅草今でいう浅草寺の辺りですね。あそこに住んでた一番メインのうちのご先祖の家計簿がね。調べられないの。なぜかというと戦争で丸焼きしたから全部燃えた。

19:40
区役所は何もかも。人間も何もかも燃えて、あの辺はもう竜巻が起こってね。あまりの火事で火柱が空まで立ち上がって、その中に人間がね。巻き込まれて上までガーッと持ち上げられて。で、下に叩きつけられてね。

20:03
なくなったっていうのを話し聞いてるんですよね?それから川名前がドアストして出てこないんだけど、あの台東区の?ある人は口の悪い人にうんちビルとか言っちゃってる。あの川あそこにもね。

20:24
たくさんの人がね。やけど、癒したくて飛び込んでね。だけど、もうネットになっててね。やっぱりなくなっていったという話も聞いてい。なのでね。変なまとめになっちゃったね。あのね。やっぱり過去のね。

20:44
流れの中に私たちは生かされている。自分がね。今回自分勝手に生まれてきてね。自分一人で大きくなったってわけじゃないっていうことですよね?今この瞬間も。生かされて。そのことを言いたいかな?

21:04
だけどあれだね。今回のテーマは借地権家庭裁判所っていう超現実的な問題だから 3 回にわたってね。このテーマをお伝えしました。今日も時間がね 20 分超えちゃったので、これで終わりにしたいと思います。

21:19
ここまでお聴きいただいてどうもありがとう。では、失礼します。終わり

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kanaco

人間の本質はスピリットという光。 スピリットが宇宙から地球にやってきて肉体に宿り "人間として生きることの意味" をお伝えしているスピリチュアルヒーラー。 「あなたの内側の光を見つけて自分らしく生きるには」を共に見つけるガイド。法華経修行歴30年。会社勤め20年。自営業20年。4人の子育て完了。HP制作運営、レストラン開業運営、イベント企画運営、地域サークルオンライン集客。出家せず在家を選択。目標は覚醒者1万人。 お問い合わせはこちら 友だち追加