私の身近なある人と、昨日の午後を一緒に過ごしました。
とにかく、口を開けば、他人批判ばかりしている人です。
昨日はこんな感じでした。
訪問先にお土産を購入したら、「あんな人にお土産なんかあげなくていいのに。あたしの分はないの?」
帰宅して、夕食作りでフライパンで料理していたら、「あなたも強火が好きな人ね。ガスの火は、そもそもこのくらいでいいのよ!」と、中火にする。(人が使うガスの火かげんすら気に入らない。)
料理のあと片付けをする前に、「人が来てキッチンを使うと、汚すから嫌だ。自分はキレイ好きだから。」と言って、床のゴミやキッチン周りの汚れを拭きとったり、ごみ箱のゴミの分別間違いを直したり。
食後のお茶の時間に、お菓子を切り分けていたら、間違えて食べた人に、「それは、あなたの分ではなくて、この人の分。人の分のお皿に、勝手に手を出さないで!自分はもう食べた癖に。」
うーーーん、お見事な文句の連発。
人と一緒に暮らすことはできない人ですね・・・。
キッチンのお皿の位置が変わっただけで、怒っていますから。
同居人、お泊りの友人客、遊びに来た人、とにかく、不満と批判が溢れてきてしまうようです。
これでは本人も疲れてしまいますね。
人は自分の鏡です。
人の振り見て我が振り直せ
とは、有名なことわざですね。
本当にその通りなのです。
ガスの強火が気に入らない・・・。
この事例で考えてみましょう。
この人は、こう言います。「まったくもう! 強火で使うことしか頭にない。馬鹿じゃないの? ガスが無駄だし、鍋も痛むし、鍋の取っ手も傷む。そんなことくらいわからないのかしら(怒り)。料理するのをやめてほしいわ。」
このようにして、自分の中の怒りを、目の前の人のせいにして、怒る、批判する、悪口を言う、人格否定をする、相手の存在を低くする、といった言動をおこすのが普通で、これによって存在価値を否定されたり批判されたりした相手がまた怒る、喧嘩になる、という現象につながっていくのが普通です。
しかし、ここで、ちょっと立ち止まってみましょう。
もし、あなたが、自分の人格向上を目指そうとする人なら、このように考えてみてほしいのです。
ん?
私は、この人が、ガスを強火のまま使うことが気に入らない。怒っている。不満を感じている。なぜだろう?
このことは、私に何を教えている?
この人が嫌い?
私のキッチンを使うことが嫌?
ガスがもったいない?
鍋の痛みが気になる?
人がいることが嫌?
そうです。
自分の怒りと不満の、本当の原因は何なのか?
そこに向き合ってみるのです。
昨日の午後、一緒に過ごした人の結論は、こうでした。
私のキッチンで料理をする、この人が大嫌い!
この人の行動、発言、存在、すべて嫌い!
頭にくる。ここにいないでほしい。
私は、私のルールで、生活したい。
人が私の領域にいるなら、私のルールに、完璧に従ってほしい。
まあ、つまり、平たく言うと、自分勝手、わがまま、ということですね。
まあ、普通の人は、こんなものです。
自分の本性と向き合う代わりに、人のせいにして、自分の欠点を見ないようにする。
それを 他責にする といいます。
自分を見つめるのは、結構大変なこと。
ましてや、自分の弱点と向き合うのは、誰でも嫌です。
でも、実は、そこに、成長の種があります。
他責のままだと、一見、楽です。
何でもかんでもみんな、人が悪いと、人のせいにしていればよいですから。
でも、自分は成長しません。
人に依存していることにもなります。
他責の反対は、自責です。
自分を責めましょう、という意味ではありません。
上記のようにして、自分の心の中に沸き起こる感情に、素直に向き合う、と言うことです。
そっか、私は、人が自分の領域に侵入するのが嫌なんだ・・・
私は、自分ルールを、人にも守ってほしいと思う人間なんだ・・・
こんな感じに。
こうやって気づいていくと、人は、人が起こす現象は、自分の心の中の感情を見せてくれる鏡だと言うことがわかります。
気づくと、感謝に変わります。
感謝に変わると、自分の波動がプラスに変わります。
すると、問題が解消します。
この繰り返しで、自分の人生の波動を、どんどん上げていくのです。
すると、あなた自身が光りはじめ、人が寄ってくるようになります。
喜びの人生に変わっていきます。
生きるのが楽で、楽しくなってきます。
タイトルに書きました。
人のことを怒ってばかりいる人、実は、自分自身に怒っているのです。
人の行動が許せない人、実は、自分の在り方が許せないのです。
それは、スピリットが怒っているのです。
本当の私じゃない!と。
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お話しいたしましょう。